思い出の校舎とお別れ 江見小、太海小で閉校式 鴨川

校旗を返納する児童=24日、鴨川市立江見小学校
最後の校歌を歌う児童ら=24日、鴨川市立太海小学校

 学校再編で閉校する鴨川市の江見小学校と太海小学校で24日、閉校式が行われた。地域のよりどころだった学校に地元住民や在校生が集まって学校生活を思い返しながら懐かしい校舎とお別れした。

 同市江見地区の曽呂、江見、太海の3小学校は統合され、旧江見中学校を改修した校舎を使って新たに江見小学校として開校する。22日の曽呂小に続き、この日閉校式を迎えた。

 閉校する江見小学校(本吉淳二校長、児童52人)は1874(明治7)年、西江見の浄照寺に設置された西江見小学校までたどることができる。5年後に青木小学校と合併。92(明治25)年に江見尋常小学校となり、94(明治27)年現在の位置に移った。1907(明治40)年には441人の児童が学び、140年の歴史で2724人の卒業生を送り出した。

 5年生の星場未宇さん(11)が一番思い出深かったのは、江見小学校最後の運動会。「応援合戦では負けたけど、総合で赤組が勝てた」と校庭に響いた歓声を思い返す。「新しい学校でも江見っ子魂を忘れないで頑張りたい」と胸を張った。

 県書道協会会長を務め、千葉日報書道展審査員、社団法人書星会副理事長を歴任した書道家、岩波白鵬さん(84)は43(昭和18)年卒業。「学校裏の八幡様の山で駆け回ったり海で泳いだり、元気な子が多く江見っ子で泳げない子はいなかった。3校一緒になればもっとすごい子もいるので、競争心が芽生えて頑張る。子どものためになると思う」と話した。

 太海小学校(庄司里美校長、児童49人)は1874(明治7)年に創立された天面小学校と波太小学校がルーツ。89(明治22)年に天面を本校、波太を分教場とする太海尋常小学校になった。1907(明治40)年に現在地に移転。59(昭和34)年の児童数418人がピークで、これまで2495人が巣立った。